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初詣絵馬いちめんに夢やどり

 

今年、初詣に行ったときに

こんな句を詠んでみました。

さすがに時期的なこともあり

合格祈願の絵馬が目立ちました。

初詣では、お願い事はしないほうがよいそう。神様の身になってみればわかる気がします!

その絵馬のひとつには、右から偏差値順に

10校もの大学の名前が書かれていて

その切実さにもう

何とも言えなくなってしまったのですが

実は何やら、初詣では

願いごとはしないほうがよいという

説があると聞きました。

 

それは非常に多くの人が

このときとばかりに訪れては

てんでにあれこれと願い事をするために

神様も困ってしまうのだそうです。

神様の身になってみれば

まったくもっともな話です。

それよりも、ただただ静かに

感謝の気持ちを伝えるだけ。

それだけで十分というか

そうでなくては失礼とも

言えるように思えます。

新年に思う願い事を叶えるために、最低限守りたいのは、疑わないこと!

さて、皆さまそれぞれに

この新年に色々な願い事が

心に生まれたことでしょう。

ぜひとも叶えたいものですね。

 

そこで今、しっかりチェックしてみたいのは

その夢に対して、自分はいったい

どんな態度でいるかということです。

 

絶対叶える! と張り切っているなら

今のところ、とってもよいと思います。

問題なのは、その夢について考えたとき

少しでもネガティブな気持ちが

浮かんできたという場合です。

 

所詮、夢は夢のままだよね。

どうせ叶いっこないよね。

 

こんなふうな、願望そのものを

疑ってかかるような気持ちがあったなら

それは何としても追い出さければなりません。

願望は、意味なく生まれてきたのではない! あなただから生み出せた、唯一無二のものなのです。

何故ならその願望は、

あなただからこそ生み出せた

とっても意味のあるもの。

あなたの人生にだけ訪れた

唯一無二のものだからです。

 

そんな貴重なものに対して

疑いであるとか、あきらめだとか

あるいは不安などという

そんな気持ちの悪い感情を向けるなど

願望に対して、まったく失礼な

マナー違反の行為ではないでしょうか。

 

願望は叶うと信じることが大事と言われます。

それは多分、その願望の存在を

全肯定することで

「願望さん」のご機嫌がよくなって

それじゃ叶ってしまおうかしら、という

流れになるからではと解釈しています。

 

でも、やはりどうしても

信じ切るほどの自信がないと言うならば

せめて感謝の気持ちだけは

日々伝えていきたいものです。

私の人生にやってきてくださって

本当にありがとうという思いぐらいは

向けていなければ

「願望さん」に対して申し訳が立ちません。

 

願望のない人生など

何と味気ないものでしょう。

夢や希望ほど、

毎日を彩ってくれるものはないのです。

願望がある暮らしは

それだけで豊か!

決して否定的な思いで

曇らせてしまうことのないように

今日も明日も明後日も

まぶしい気持ちで照らし続けたいですね。

 

また明日。

xxx