わたしたちは日々

数々の「願望」の中で生きているものです。

夕ごはんにはお寿司が食べたい。

友と映画を見に行きたい。

いくらでも浮かんで来ますよね。

 

こんなふうに、タイミングとお金で

実現できる願望をかなえるのは

簡単なことです。

ですから行動に移すのも簡単です。

ところが、そこに「努力」というものが

必要になってくると

途端に願望に対しての向き合い方は

変わって来てしまうようです。

 

たとえば、A案は無理だから

B案にしておこう。

そのほうが確実だし

失敗して傷つくこともないし。

こんなふうに判断して

努力をはじめることってありませんか?

 

たぶん、自分が確実だと思ったことをやれば

努力はうまく実を結んで

願望はかなうと思います。

でもそれがかなったところで

心底から湧き上がる

よろこびはあるでしょうか?

いい結果が最初から

想定されていたことがかなうことって

うれしいはずなのに

何故かよろこびよりも

あきらめに似た感情のほうが

先に立ったりするから不思議です。

 

それは、実は無理かも、と思ってしまったA案こそ

ハートが熱く求めている本当の

願望だったからなのです。

 

それをやらずに避けて通ることを

繰り返していくと

いつの間にか、自分が

何を欲しているのか分からない、

という状況にも陥りやすくなったりするもの。

安全パイばかり選ぶのは

実はとっても怖いことでもあるのです。

 

また、人間は本当の願望を思い浮かべた瞬間

自分の大胆さに

驚いてしまうものなのですよね。

それが「無理かも」というリミッターを

かける原因になっているようにも思えます。

 

そのリミッターこそ、実は

モチベーションをどんどん下げていってしまう

ウイルスみたいな存在なのです。

そんなもの無視して

むしろ無理かも? と思ったら

やった! と思ってみませんか。

無理かも? と思うことに

いちいち屈服していたら

いつまでたっても魂レベルからの

よろこびを味わうことは出来ません。

大冒険の旅に出るような気分で

途方もない目標に向かって踏み出す勇気を

楽しんでもみませんか?

きっと想像も出来なかった世界に

出会えるはずです!

 

また明日。