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心が静かで

凪いでいるかのようなときは

実に楽なものですね。

心がもっとも快適なのは、フラットな状態のとき!

美味しいコーヒーをかたわらに

とりたてて動き出しそうもない

心の様子を感じていると

こんな心持ちで

いつも過ごせたらと思ってしまいます。

 

往々にして私たちは

心にとって嫌なのは、とっても苦しい感情。

そしてよいのは、うれしい感情。

そう思うものですが

実は意外にそうでもなくて、

うれしい! 楽しい!! しあわせ!!!

そんな感じで高まっているとき

心にはまた違ったストレスが

かかってしまうものなのです。

 

つまり、取りも直さず

心にとってもっとも快適なのは

感情が乱れず

フラットで穏やかな状態と言えるのです。

 

しかし実際は、様々なことに

意識は引っ張られてしまうものです。

ちょっとした刺激でカリカリしたり

憂うつになったり

時には怒りが抑えきれなくなることも。

特に嫌なのは、怒りの感情です。

それもまた、

自分の中から出たものですから

よい悪いのジャッジなどせず

そのまますんなりと

受けとればよいとも思えはしますが

できれば味わいたくないものです。

 

そこで、あるとき私は

自分の心のなかをよーく観察してみました。

どんな経緯で、心は騒ぎ出すのかが

知りたかったからです。

豊かな感受性より、スルーできる鈍感さを選んでみよう!

その作業でわかったことは

意外にひとつひとつの出来事に対して

自分の心がきっちりと

律義なまでに反応していることでした。

それはまるで、反応することが

ノルマであるかのようで

少し滑稽に思えたほどでした。

 

もちろん、その丁寧とも言える

心の反応は

感受性が豊かなことでもあります。

ただ、その豊かさは

メンタルにとっては時として

むしろ余計な負担になる場合もあります。

身も蓋もない言い方ですが

とりたてて感じなくていいことまで

わざわざ感じとるのは

余計なことでもあるのです。

ですから、いちいち出会った物事に対して

律儀に感じとろうとせず

もっとスルーしてしまうのが正解です。

ポイントは、感情を向けるべきところと

そうでないところは割り切って分別すること。

これが身につくと

精神衛生上にも大変よいようです。

 

感情は、自分にとって

重要なものにだけ向ければよい。

それがわかれば、とっても楽になります。

つまらないことにまで

感情を動かすことはありません。

 

ぼんやりと、ぼーっとしていること。

そんな鈍感さこそ、複雑な毎日を

シンプルに、軽やかにしてくれるのです。

 

また明日。