TAKEBE160224500I9A0384_TP_V1[1]怒ること。

怒られること。

どちらも決して

こころよい心情には

なれないものですね。

怒りはコントロールができます。ですが、その先にはすっきりしない気持ちが待っています。

ですから、「怒らない」ように

気持ちをコントロールするのも

精神衛生上、よろしいことです。

何しろ、怒りの気持ちを

抱えているときには

表情はゆがみ、呼吸も浅くなるため

美容上、健康上とも

いいことはないのですから。

また、怒りの気持ちを

向けられたときも同じことです。

それが真っ当な理由からなら

素直に心からお詫びして

反省もできますが

理不尽なことで、意味のない

怒りをぶつけられた日には

ストレスはピークとなり

さらに相手に対して

怒りを感じるという

悪循環に陥ってしまいますから。

 

そこで怒りの芽が

ふくらみはじめたら

その感情から一度離れて

ひたすら冷静になったり

あるいは怒りの気持ちを感じたときに

思考を止めるなどといった手法で

心の平穏を取り戻すのは

とってもいいことだと思います。

 

ですが、こうした応急処置法で

怒りから心を守ったあと

不完全燃焼的な感覚に襲われ

すっきりしない気持ちになることも

ままあります。

 

これはいったい、どうしてなのでしょうか。

その怒りは、「悲しみ」からきているとわかれば、自然に怒りから自由になれます。

思うに、感情を

コントロールしてしまうと

本来最後まで感じとるべき思いが

フェードアウトすることに

なってしまいます。

 

最後まできちんと

決着がつかないままに

強制終了させてしまえば

それはさっぱりしないというもの。

コントロールも

悪いことではないのですが

できれば最後まで

感情の自然な動きとつきあって

納得して、終わらせるのが

あるべき形ではないでしょうか。

 

そこで思ったのは

怒りはいったい

どんな感情を経由して

あらわれてくるのだろうかと

いうことでした。

 

疑い、呆れ、不満など

あらゆる負の感情が

考えられましたが

私はもっとも近いものとして

「悲しみ」があるのではないかと

実感しました。

 

理解できない、許せない、などと

自分の心をないがしろに

されることから

怒りは生まれます。

その、心を粗末にされたときに

一番に感じることは

「悲しみ」だと思うのです。

 

この「悲しみ」にさらなる思いが

加わることで

悲しさは怒りに変貌するのです。

 

このことに気づくと

怒りの気持ちに対して

あまり身構えなくなるようです。

怒っている自分に対しても

怒っている目の前の人にも

心の奥底には悲しみがあると知ると

その気持ちも受けとめようと

思えてくるものです。

 

そして、怒りの気持ちより

まずは悲しみの気持ちに

対処をしようと思うと

解決策も前向きなものが

浮かびやすくなるのもいいところです。

 

怒っている自分にも

怒っている相手にも

悲しみという事情がある。

それを踏まえて向き合えば

自分の心に負荷がかかることも減り

さらには相手と最終的に

わかりあえるという

うれしいことも起こります。

 

怒りの出どころに目を向ければ

思うほど怒りは

恐るべきものでもないと

わかることでしょう。

 

また明日。