年が明けても、相変わらず

話題にのぼるのは

機械や人工知能、AIに

奪われるのではないかという

仕事のことです。

 

その

「奪われる仕事ランキング」というものも

いくつも目にしましたが

そこで面白いと思ったのが

高校の教師は

AIに取って代わられるけれど

小学校の先生は

そうではないということでした。

何だか真実って

ここに集約されているように

思えて来たのです。

 

もちろん100%そうだとは

言えませんけれど

高校の教師は、勉強そのものを

教えることに重きがある反面

小学校の先生は、勉強のほかにも

礼儀や道徳的なことも

教える役目があります。

その人格を通して、児童たちの人間性を

養うのも重要なお仕事なのです。

これはやはりAIよりも

生身の人間のほうが高い精度で

行なえることでしょう。

AIにいくら何兆通りもの

感情の種類や傾向を

備えさせたとしても

今を生きている人間の情緒には

叶うはずもありませんから。

 

ですから、今後AIなどに怯えずに

仕事人として立っていくには

とにもかくにも、表現する根源である

人間性、パーソナリティーを

磨いていくしかないのですね。

人工的なものには生み出せない

呼吸や体温をともなった内容を

仕事の中に込めていくことを

いつも最重要視出来たなら

それはすなわち、ほかの誰にも出来ない

仕事が出来るということにもなります。

 

ですから、正確さを追求するあまり

マシンと化して仕事をするなど

もってのほかと言えるのです。

どんな仕事であっても

そこに自分ならではの思いや

メッセージを織り混ぜる意識を持ちながら

行なっていくことが

今後のベーシックとなるように思います。

 

言うのは簡単ですが

これはとっても大変な挑戦!

ですがおのれの人間性が問われるとなれば

これほどやりがいあることはないですね。

受け手への心へと、自身の心から届ける。

この意識でもって

これからの世の中を渡っていこうと

思うこの頃です。

 

また明日。