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あと何年生きられるか

わからないように

あとどれほどの人と

めぐり会えるかなど

まったく推測すらつかないものです。

「出会える」こと自体、奇跡的なこと! 出会いの種は、育てなければ実りません。

多くの方がぼやかれることに

「出会いがない」

というフレーズがありますが

それは当然です。

現在の世界の人口は

約72億人だそうですが

これをかんがみて

人との出会いの確率を考えると

その割合は恐ろしいほど

天文学的数字だからです。

 

ですから出会いがない、ないと

言っていたところで

奇跡を起こすことはできません。

出会いの機会が欲しいなら

自分から可能性の

ありそうなところへ

出かけていくことです。

そして幸運にもまたお会いしたい、

という方に出会えたなら、

それは大変に奇跡的な出来事。

何としても

ご縁をつなぎたいものですね。

別れ際の「何かあったら」は、ご縁を遠ざける恐怖の言葉!

そこで決して

失礼のないように

留意するのはもちろんのこと

その方の話されたことなど

しっかり自分の中へ落とし込んで

お相手の方の世界観を

少しでも理解することも大事です。

 

そして問題は別れ際です。

ここで、つい

次につなげたいばかりに

こんなフレーズを

言ったりしたことがないでしょうか。

「何かあったら、ぜひご連絡ください」

などと。

 

実はこのフレーズ

かつて私は連発していました。

また会いたいと思うと

何故か自然に

口をついて出てしまっていたのです。

ですが、あるとき私と同じように

「何かあったらいつでも声をかけてね!」

と、会う人会う人に

言って回っている方を見たとき

冷や水を浴びせられたような

感覚に襲われました。

そのセリフは、何と軽々しく

恥ずべきものなのだろうかと。

 

たとえば、もし

「何かあったら」という言葉を

かけた方が

1億の借金をすることになったとします。

そこで何かあったので

保証人になってくれと

連絡してこられたら

いったい何と答えればよいのでしょうか。

 

そもそも「何かあったら」というのは

あまりにも相手に対して

無責任な表現です。

私はあなたのために

こういうことができますし

こんなことを協力したいという気持ちを

ざっくり「何か」と

省略してしまっているのですから。

 

また、受けとりようによっては

あなたとの再会など

望んではいないという

意志表明のようにも思えます。

 

それに気づいたときといったら

どれほどたくさんの方に

失礼なことをしてしまったのかと

しばらく立ち直れなかったものです。

 

以来、このいい加減な

「何かあったら」というフレーズは

こう言いかえることにしました。

 

「インド料理やタイ料理が食べたいときは」

「俳句の話がしたいときは」

「新宿のゴールデン街に飲みに行きたいときは」

 

こうして、きちんとその

「何か」を具体的なこととして

お伝えすることにしたのです。

するとその後

俄然お声をかけていただける

機会が増えました。

やはり、いい加減な、

心のこもらない対応というのは

大抵の方には見抜かれるのです。

当然のことですよね。

 

また明日。