いつでも心穏やかに、
ほがらかに過ごせたらすてきです。
しかし、なかなか
そうもいかないのが常です。
大変にしんどいことです。
生きづらくさせる2大ウイルス、「反省」と「後悔」。
生きづらくさせているもの。
それは何といっても「反省」と「後悔」。
これが2大ウイルスだと思います。
「反省」は、一見ポジティブで
建設的な要素もふくんではいます。
ところが、どうしても
反省モードに入りますと
「あのとき、どうしてもっと
最善が尽くせなかったのか」
などと、自分を責めてしまうのが
よろしくないのです。
反省=自分いじめ、になりがちなのです。
そして「後悔」も
これまた好きになれません。
過去の時間が、どれもすべて
自分にとっての
黒歴史に変貌してしまいます。
それは、大切な「今」にまで
傷をつけ、価値を落とすので
未来への希望も奪いかねないのです。
道徳の時間に植えつけられたプログラムは、改訂の必要性大!
そもそも、人にとって反省や後悔とは、
必要なものなのでしょうか?
後悔は言うまでもありませんが、
反省の大切さは
学校の先生から植えつけられたり、
自分で勝手に思い込んだりした、
大間違いの概念だと思うのです。
何故なら人は、今言ったこと、
行なったことが、絶対に
「そのとき自分がベストだと判断したこと」
だからなのです。
なので、仮に全力が出せなかったり、
ちょっと手を抜いてしまったとしても、
そのときの自分には、
それ以上のことを行なうのは無理だった。
これは本当に事実だと思うのです。
「反省」と「後悔」に変わるものは「検討」!
だったら、後悔とは無用の長物。
反省する意味もないのです。
ただ、その失敗から
さらによりよい結果へつなげていくならば
行ないたいのは「検討」です。
うまく行かなかったことの
問題点を分析して、
解決策を見つければよいのです。
これで失敗も
生きたサンプルとグレードアップし
めでたしめでたしとなります。
いたずらに、反省モード、
後悔モードに入って
自分いじめをしないために
心がけておくとよいことは
「常に、これが今の私のベスト」
そう意識していることでは
ないかと思います。
何を言うにも、行なうにも、
そう自分自身と確認しあっていれば
それははかり知れない力になります。
自分自身への責任はともないますが
何をするにも安心感がわき、
迷うことすらなくなっていくようです。
自分自身との結託感が
強まっていくのもよい気分です!
「反省」と「後悔」に、
今まで苦しめてくれてサンキューねと
晴れ晴れゆかいにお別れしてみませんか。
感謝をこめて、さようならと言える
すがすがしさは、
それはこたえられないものです。
承っております。
どうぞご用命ください。
また明日(^・^)
xxx