私たちは、少なくとも毎日ごはんを食べ
トイレに行き、眠ります。
それは当たり前のように
生まれてからずっと、1日たりとも
欠かさずに行なってきたことです。
1日も欠かさないから、生きていられる! 願望に命を与えるのも、まったく同じ理屈です。
もしかしたら、具合が悪く
食べられない日もあるかも知れませんが
わたしたちは本能的に
「生きたい」と望んでいるので
通常、こうした行動を
欠かすことはありません。
1日でも欠かしてしまったら
生命の危機にもつながってしまうからです。
本当に基本中の基本の欲望である
「生きる」ことを達成するためにも
毎日するべきことがあるのです。
ならば、もっと次の段階の
欲望を超えた「願望」に対しても
同じように
毎日はたらきかける必要があるでしょう。
1日たりとて行なわなければ
死んでしまうかも知れない
日々の決めごと。
心に浮かんだ願望に対してなら
なおさら行わなければと思います。
命よりはずっと実体のない
「願望」でしかないものを
確かに育てていくためには
1日も欠かさずその思いに向かって
アプローチを続けなければ
その願望はいつまでたっても
絵空事のままなのです。
アプローチが「当たり前」になれば、願望の扉に「圧」がかかる!
毎日毎日、どんな方法であっても
願望達成の扉を叩くこと。
これを続けない限り
その願望にはエネルギーが
満ちることはないのです。
そして、言えることは
その願望に対するアプローチが
自分の中で「当たり前」になったとき
どんなことでも
叶うきざしが見えてくるのだと思います。
それは、ごはんを食べることや
眠ることに対して
ものすごく努力することがないように。
(食欲不振、不眠症などの症例はのぞいて)
毎日おなかが空くから食べますし
眠くなるから寝るのです。
それと同じように
たとえば何かを教えることを
生業としたいなら
そうした記事や
デモンストレーションの動画をアップし
世間の皆さまに見てもらうことを
自分の中の
「当たり前」にするといったように。
こうして当然のように
毎日毎日アプローチを続けていけば
願望達成への扉に圧がかかり
ギギギと少しずつ開いていきます。
そしてある日、全開になって
扉の向こうの景色が見られる。
願望が叶う仕組みとは
そういうことではないかと思います。
毎日行なう。
そのことが扉へ圧をかけるのです。
1日休んだら、圧が弱まって
開きかかかっていた扉はまた
閉まってしまうかも知れません。
もちろん休んでしまったら
また再開すれば
よいだけのことですが
早く扉を開けたいなら
とにかく毎日行なうこと。
これに勝る早道はないなと思うこの頃です。
毎日の励行が
「当たり前」になってしまえば
願望と自分との絆も
かたくなっていくでしょう。
さらにはその日を
確かに過ごした充足感という
すばらしい副産物も
もたらされるのもまた
大変にうれしいことなのです。
また明日。
xxx