過日に報道された
「ばびろんまつこ」の逮捕劇。
彼女は偽のブランド品を
オークションサイトで売りさばいた疑いで
お縄となってしまったのですが
注目を浴びたのはそのセレブぶりでした。
もくじ
SNSでつぶやくゴージャスな日常と、本当の暮らしとのギャップの狭間で。
一般庶民には
とうてい手の届かないような
日常生活を優雅に語っていた彼女ですが
逮捕されたときには無職だったそうです。
おそらくSNS上で披露するセレブ生活に
内情が追い付かず、
犯罪に手を染めたというところなのでしょうが
偽物を売っていたときの
彼女の心模様を思うと
とってもやるせない気分になります。
それは焦りがあったことでしょう。
今さら平民的なツイートなどできない。
もうあとには退けないという気持ちは
どんなにかしんどかったことでしょう。
見栄が自分をときめかせるのはほんの一瞬のこと! あとは苦悩しか与えない、厄介なものなのです。
もしも彼女が開き直りを見せて
「魔法がとけたので、
普通の女の子に戻りまーす♪」
とでもつぶやけたなら
どんなにかその後の展開は
救われたでしょうか。
見栄というものは
場合によってはこんなにも
自分の首を絞めるものということが
怖いほどわかった事件でした。
そもそも見栄は誰のためでもなく
自分のために張るものです。
しかし、見栄が自分を陶酔させ
浮いた気分にさせてくれるのは
ほんのわずかな時間です。
あとはひたすらに、苦しみながら
虚勢を張り続けなければなりません。
さらに見栄を張ったあとの
気持ちというのはとっても空しいのです。
私にも黒歴史がたくさんあります。
一瞬の高揚感のために
あとの人生を台無しにする
そんな刹那を生きようとするなんて
あまりにももったいないことです。
見栄と縁を切れば、自由になれる! そしてとっても、魅力的になれる!
また、たまにお目にかかるのですが
マウンティングというのでしょうか。
いかに自分はすごい経験をしてきて
とにかく本当にすごいのだと(笑)
相手の話を一切受けとめることなく
ただとうとうと述べ続ける方がいます。
こうした見栄の張り方も
つらそうだなあと思ってしまいます。
きっと
「すごくて、すごくて、すばらしい自分」
であることをアピールしなければ
息さえも吸えないのでしょう。
反対に、不思議なもので
魅力的に感じる人というのは
とってもすごい人なのだけれど
決してそんなことを
わざわざ言うこともなく
一切の気負いもないまま
ゆったりと、にこやかに、ただその場所に
溶け込んでいるのです。
そこには見栄のミの字もありません。
なんて魅力的なのだろうかと思います。
余計なものは持たないで、考えないで、付け加えないで。見栄を捨てれば、軽くなる!
人は贅肉を落とすために
ダイエットを試みますが
自己認識のダイエットというものも
必要なのだなあと
この事件で思わされました。
それ以上でもそれ以下でもない
ジャストな自分で在ることが
人は何より生きやすいのです。
なので、モノの断捨離をはじめたら
ジャストな自分にくっついている
「それ以下」「それ以上」のものも
かなぐり捨てていきたいものです。
それでこそ、軽やかに、
楽な呼吸で生きられるというもの。
そして出会う人たちと
本音でつきあえるという
うれしいギフトまでもついてくるのです!
私は私の道を行きたいとおっしゃった
お客様の声です。
どうぞご利用ください。
また明日(^・^)
xxx