DSC_1217

心が静かで、

凪いでいるようなとき。

とっても楽です。

美味しいコーヒーをかたわらに

とりたてて動き出しそうもない

心の様子を感じていると

こんな心持ちでいつも過ごせたらと

思ってしまいます。

ハッピーなも思いも、ストレスになる?! フラットな状態こそが心にとっての究極のベスト!

心にとって嫌なのは、とっても苦しい感情。

そしてよいのは、うれしい感情。

そう思うものですが、

実は意外にそうでもなくて

うれしい! 楽しい!! しあわせ!!!

そんな感じで高まっているとき

心にはまた別種のストレスが

かかるものなのです。

心にとって

もっとも快適なのは、

感情が乱れず、

フラットで穏やかな状態。

確かに、こんな状態だと、

とてもリラックスできます。

何故心は「あばれる君」になるのか(笑)。それは心が、とっても律義だから!

しかし実際は、

様々なことに

意識は引っ張られてしまうものです。

ちょっとした刺激で

カリカリしたり、憂鬱になったり、

時には怒りが抑えきれなくなることも。

 

特に嫌なのは、怒りの感情です。

それもまた、

自分の中から出たものですから

よい悪いのジャッジをせずに

そのまますんなりと受けとれば

よいとも思えはしますが

できれば味わいたくないのが本音です。

そこで、あるとき

自分の心のなかをよーく観察してみました。

どんな経緯で、心は騒ぎ出すのかが

とっても知りたかったからです。

その作業でわかったことは、

意外にひとつひとつの出来事に対して、

自分の心がきっちりと、

律義なまでに反応していることでした。

それはまるで、反応することが

ノルマであるかのようで、

少し滑稽に思えたほどでした。

豊かな感受性よりも、「スルーできる鈍感さ」を選びたい!

そのていねいとも言える

心の反応は

感受性が豊かなことでもあります。

ただ、その豊かさは、

メンタルにとっては時として

むしろ余計な負担になる場合もあります。

とりたてて感じなくていいことまで

わざわざ感じとるのは

余計なことでもあると思います。

(身も蓋もない言い方ですが)

 

なのでもう

いちいち出会った物事に対して

律儀に感じとろうとせず

もっとスルーしてしまえばよいと

このところ、思っております。

感情を向けるべきところと、

そうでないところは

割り切って分別したほうが

ずっと精神衛生上、よいようなのです。

 

感情は、自分にとって

重要なものにだけ向ければよい。

最近わかって、とっても楽になったことです。

つまらないことに

感情を動かすことはない。

そんなことに出会ったら

好きな歌の一節でも思い浮かべて

やり過ごしてしまえばよいのです!

 

美容と健康に関する記事の企画立案・取材・ライティングを

承っております。

どうぞご用命ください。

 

また明日(^・^)

xxx