いつからか、
「知りません」
と言うことに抵抗がなくなりました。
以前は、不勉強と思われるのが怖く
そう言った後は恥ずかしくて
自分をよく責めたものでした。
それゆえ、日々あらゆるソースの中で
あっぷあっぷしていた時期もありました。
特にネットを使うようになってからは
あまりにも簡単に情報を得られる便利さに
ハマってしまいました。
その都度インプットをしていたら
冗談ではなく、本当に
日が暮れてしまったこともあったほどです。
ですが、ある時から
そんな情報と自分との関係が健全でないとわかりました。
何でも、とりあえず知っておけば安心、という感覚に
気持ち悪さを覚えるようになったのです。
必要のないことまで知っていてどうするの?
シンプルにそう自問してみたら
降りて来たのは明解過ぎる答えでした。
別に、知らなくたって
死にはしないのですよね。
その答えが出たのを機に
仕事上のことは除いて
一切自分から情報を探すことを
やめてしまいました。
すると、時間がたくさん
出来るようになりました。
これは本当に豊かなことで
それだけでも情報と距離を置いてよかったと
心から思ったものでした。
そして、何でも知っていることよりも
自分に本当に必要なことを
深く知っているほうが、断然お得です。
さらに世の中の常識も
どんどん変わって行きます。
何も律義についていくこともないのです。
また、余計な情報も頭の中のゴミと言えます。
その情報がストレスになることもあるからです。
些細なことですが、
・新聞の折り込みチラシ、
ポストに投げ込まれたチラシは見ない
(もしたまたま目に入ってしまったら
それは有用な情報かも)
・見たいテレビ以外は見ない
(もし気が向いて見てしまったら
それは有用な番組かも)
・受信メールは、必要なものしか開封しない
(もし、うっかり開いてしまったら
それは有用な記事かも)
この程度の情報ブロックをするだけでも
知らなくていい情報から
すんなりと離れられるようです。
「知らない」ことは、
決して無知なことではないと思います。
あまり開き直ることもありませんが
それは自分の在り方を
大切にしていることともつながるような気がします。
知りたいことだけ知っておけばいい。
それで十分ではないかと思います。
また明日。