N112_fightpoze_TP_V1[1]私たちは毎日

数々の「願望」を叶えながら

生きています。

確実なことばかり叶えていると、心の底からのよろこびが遠くなる!

願望を感じない1日は

あり得ないものです。

夕ごはんはお寿司がいい、

というのも願望ですし

来週末は友と

映画を見に行きたい。

パソコンの資格がほしいから

スクールに通いたいということも。

考えてみると日常は

願望によって動いていることが

よくわかります。

 

そして、お寿司にしろ

映画にしろ

タイミングと少々のお金で

実現できる願望は

たやすく叶うものです。

ですからためらうことなく

願望に対して行動ができます。

 

ところがそこに

「努力」というものが

必要になってくると

途端に願望に対しての

向き合い方は

変わってくる傾向があります。

 

A案は無理そうだから

B案にしておこう。

B案のほうが確実だし

失敗して傷つくこともないし。

こんなふうに判断して

努力をはじめたことはありませんか?

(私はあります!)

 

おそらく、自分が確実だと

思ったことをやれば

努力は効率的に実を結んで

その願望はかなうことでしょう。

しかし、それが叶ったところで

心の底から湧き上がる

よろこびはあるでしょうか。

 

よい結果が最初から

想定されていたことが

叶うことは

うれしいというより

どこか不完全燃焼といった

気持ちにさせられます。

そしてそれなりに

エネルギーも使ったために

費用対効果の低さに

後悔を覚えることさえあります。

途方もない目標に向かって行こう! その勇気が生きている実感を与えてくれます!

無理だ、と思ってしまったA案。

実は、無理だと

思ってしまったことこそが

魂が熱く求めている

本当の願望なのです。

それをやらずに

避けて通ることを

繰り返していくと

いつの間にか、自分が

何を欲しているのかわからない、

などという状況に陥る

恐れもあります。

それは、本当の願望を

思い浮かべた瞬間

自分の大胆さに

驚いてしまうからなのです。

そこで、その緊急事態に

思わず「無理だ」というリミッターを

かけてみたりするのです。

 

そしてそのリミッターは

一瞬精神安定剤に

なってくれたりもしますが

実はモチベーションを

どんどん下げるという

余計なことをしてくれます。

 

そんなリミッターなど

何の必要もありません!

もしも無理だと思ったら、

真の願望が到来したことに

ブラボー! と言ってみませんか。

そして果敢に挑んでいきましょう。

 

その願望を叶えるために

費やすエネルギーなら

必ず、生きている実感を

覚えさせてくれます。

 

無理だと思うことに

いちいち屈服していたら

いつまでたっても

魂レベルからのよろこびを

味わうことはできません。

大冒険の旅に出る気分で

途方もない目標に向かって

踏み出す勇気を

楽しんでもみませんか?!

 

また明日。