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「私にはしあわせが似合わない」

「私はしあわせになってはいけない」

「私はしあわせになどなれるわけがない」

こんなふうに思っている人は

割と少なくないようです。

不幸な人を見ると、気分はだだ下がるんです。

通りすがりに

のぞかせていただくブログにも

そうした思いが

綴られていることが結構あります。

確かに、その思い、わからなくはないのです。

きっとそれぞれに

何かの理由があって

自分としあわせの間に

距離を感じているのでしょう。

 

しかし、やはり

心の底からしあわせになりたくない人など

いるはずもないと思うのです。

 

そこで、ご提案したいのが

しあわせになることを

人としてのマナーや

エチケットとして考えてみることです。

たとえば、よれよれになって帰る

終電間際の電車の中で

もうこの世の終わりかと思うほどの

沈痛な面持ちをした殿方に

出くわしたりすると

疲れは数倍にも増してしまいます。

ところが、もしも

何かいいことがあったに違いないと思われる

輝くような表情の少女が

目の前にいたなら

疲れも多少は軽減するものです。

人の不幸は蜜の味、とも言いますが

それはそこそこ、ほどほどの

不幸のことであって

(気になっている男性と

偶然出会ったときに限って

服もメイクも

決まっていなかったなど!)

本来ふしあわせな人など

誰も見たくはないのです。

やはり人とは

しあわせな人を見ているほうが

断然うれしい生き物なのです。

しあわせになることを、大切なお作法と考えてみてください!

マナーやエチケットとは

人を不快にさせないために存在します。

この考え方を応用して

自分がしあわせになることを

大切なお作法ととらえ直してみると

きっと面白い展開がみられるでしょう。

 

まずは、遊び半分でよいので

不幸気分なときこそ

女優になった気分で

「しあわせな私」を

演じてみてはいかがでしょうか。

すると、演じているうちに

だんだんその気になってきて

もしかしたら全然大丈夫なのかも知れない!

などと、自然に強気な気分になれるものです。

 

あなたがしあわせでないと

悲しむ人はたくさんいます。

友や家族、恋人など

大切な人のためにもここはひとつ、

礼儀としてでもしあわせになることを

自分に許可し、

そして強制してくださいね。

 

また明日。