過日に、映画「空(カラ)の味」の
DVD発売、レンタル開始イベントに
行ってまいりました。
女子高生の身に起こった
摂食障害というものがテーマの作品です。
またそのプロットは
監督ご自身の実体験がベースとなっていて
それゆえにリアルの上を行く臨場感が
わかるものにはよくわかる
物語になっていたと思いました。
それは、これまであまり
公にはして来なかったのですが
私自身が、程度の波こそありましたが
摂食障害を患っていた時期が
あったからなのです。
些細な、何ということもない
多分自分の感情を
自分で消化出来なくなったというくらいの
そんなきっかけで
生活が破綻するほどの過食、嘔吐に
日々を費やすようになった彼女。
その姿にあらためて思わされました。
この、「食べ物」というものに
取りつかれて、振り回されている状態って
どうにも太刀打ちできない
高圧的な大敵に
人生を乗っ取られているような
気がすることを。
そして、幾星霜が過ぎ去って
今実感しているのは
きっと、食べ物との関係性が
不健全になってしまうのは
自分自身との折り合いが
よろしくなくなっているからだということ。
こう生きたいのに、出来ないことへの
絶望や苛立ちのはけ口が
命のもとである食べ物に
向いてしまうことって
起こる人には起こるんです。
思えば、私も
どうしようもない怒りに
とらわれていたとき
その怒りを食べ物に見立てて
噛み砕いて飲み込み
木っ端みじんにしてから
思い切り吐き出すという行為で
そのときだけ、怒りを
「なかったこと」にしていたようでした。
ゆえに、劇中で彼女が
過食嘔吐することについて
「復讐している」という言葉で
表現したのには
すごくはっとさせられたものでした。
ですが、こうも思ったのです。
摂食障害とは
自分が好きに生きられていない証拠。
だから食べることのしんどさと合わせて
もがけるだけもがくしかないのだと。
そして徹底的に
自分の中で起こっている理不尽さを
あぶり出していれば
いつか、どうにか、力ずくでも
自分らしい生き方に
修正して行かれる日も来ます。
もがいた分だけ、腑に落ちるとでも
いうのでしょうか。
だから、「もがき損」なんて
絶対にないんですよね。
そして、食べている、ということは
それがどんなスタイルであっても
生きたい、と思っていることなのですから!
いや、それにしても
おそらく摂食障害について
何も知らなかったであろう
堀春菜さんの演技は
まるでヒロインに憑依していたかのようで
それは素晴らしかったです。
そしてそして、このかつての日々の
ドキュメントを
ご自身の胸のうちとも戦いながら
ヒロインの息遣いまでもが伝わって来る
作品にして世に送り届けた
若く勇敢で美しい塚田万理奈監督に
心からの拍手を送りました。
摂食障害、というテーマは
さておいても
ただ生きていることは
それだけで最強、という思いを
実感したいあなたに
ぜひ観ていただきたい1本です。
また明日。