あんなことをされてしまった。
ひどい気持ちにされられた。
こんなふうな「被害者」的な気持ちは
どうにも重たく、気を沈ませるものです。
被害者意識は癖になる! オートマティックにそう感じてしまうなら、要注意なのです。
たとえば日常の雑用的な
仕事というものがありますが
こうしたことに追われていると
「どうして私がしなければならないの」
「いつも私ばかり」
という不満に陥りがちです。
また雑用は
日々途切れることがありませんので
そのたびに頬をふくらませたり
げんなりした顔をしていては
せっかくの美人も台無し!
その美貌に美しくない表情が
刻み込まれてしまえば
美人度も急降下!
こんな恐ろしい話があるでしょうか。
もしも、ちょっとしたことにでも
「~させられている」という
被害者意識を感じてしまいがちな
自覚があったなら
その心の反応の癖を
今日から徐々にあらためていくと
この先、とってもすっきりとした
毎日が送れると思います。
「被害者意識」から抜け出すには、どこまでも「自己中」で行きましょう!
さて、そのとっても厄介な
被害者意識ですが
これを一瞬にして取り払う秘策は
「自己中」になることなのです。
とにかく自己中心的な考え方、在り方で
物事に当たるのです。
雑用ひとつを行なうときも
「やらされている」と
受け身の姿勢で向き合うのではなく
「これは『私の意志』でやっている!」と
自分の思いありきで行なうのです。
すると、どうでしょう!
あの「やらされていた感」がなくなると
単なる雑用も
自分にとっての必要事項、といったふうに進化し
行なっているときの気分も
実にすがすがしくなります。
なので、日々の中で起きる
ちょっとした「面白くないこと」も
自分がそれを選んだのだ、と考えると
不思議に大したことでもなくなってしまいます。
「つまらない話を聞かされた」
→「つまらない話だけど、あえて聞いた」
「嫌なことを押し付けられた」
→「仕方がないから、私がやって差し上げる」
こんな調子で、あくまでも
自分の意志を最優先した結果として
あらゆることと向かい合っていけば
いつのまにか被害者意識など忘却の彼方へ!
すべては私が決めたこと、という
自主的な行動を習慣にしてしまえば
暮らしの中で不満を感じることも
激減するはずです。
さらには、「自分の意志」で行なう癖がつくと
嫌なことにはノーと言える
心の強さも育ちます。
何事も、自分が選びとったこと。
自分が好きで、そうしてみたこと。
その感覚は、表情を
さわやかに、涼しげにしてくれます。
意志のある美しさの誕生です!
今日から堂々と、潔く
「自分中心主義」で行きませんか?
また明日。