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先日、友との会話の中で

唐突に出てきた

「萎縮社会」という言葉。

思わずそれは何なのかと

うかがいました。

マタニティマークが付けられない妊婦さんに、公園で声をひそめて静かに遊ぶ子どもたち。その心の闇は、私たちにも広がっている!

昨今、周囲からの非難を恐れて

よかれと思うことはもちろん

当たり前のことであっても気がひけて

行動することを避けてしまう

風潮が広がっているのだとか。

 

たとえば

「病人でもないのに優先席に座っている!」

と非難されるのが怖いばかりに

マタニティマークが付けられない妊婦さん。

 

公園でのボール遊びが可能な時間帯に

うるさいと怒られるのが嫌で

声をひそめてボールを追っている

子どもたち。

 

こんなふうに

批判を気にするあまりに

びくびくしながら通常の生活を送る

善良な国民が増えていることを

「萎縮社会」と名付け

過日にフジテレビの「とくダネ!」で

特集が組まれたのだそうです。

(ご覧になりましたか?)

 

いったい何ということでしょう。

友からこの話を聞いたときに

いつからこれほど

殺伐とした世の中に

なってしまったのかと

暗澹たる気持ちになりました。

 

ですが、確かに

この批判されることに対しては

誰しも以前よりずっと

敏感になっているように思います。

特にSNSで発信する機会の

多い方などは、程度の差はあれ

その反応に

何かしらの不安を感じてしまうのは

否めないのではないでしょうか。

その軽々しい批判など、明日には真逆の批判になっているもの。「マナー」と「重要な人物」の2点を大事にすれば、おかしな批判に傷つくことにはなりません!

しかし、この批判というもの、

それほど恐れる必要が

あるのでしょうか。

そもそも軽々しく批判めいたことを

口にする人は

おそらく、ものの真実などは

わかってはいません。

 

ですから、前述した妊婦さんについても

明日には

「少子化の世の中、妊娠することは

とってもすばらしい!」

子どもたちに対しても

「ゲームばかりしていないで

外で元気に遊ぶべし」

などとまた、気分にまかせて

素っ頓狂な論評をするものなのです。

言論の自由をいいことに。

 

ということは

まったくまともに

取り合うだけ無駄なのです。

そして何より、私たちは

この社会の中で

萎縮することなく

発言し、行動していく権利を

手放すわけにはいかないのです。

 

そこで、有象無象の批判に

屈しないために

大事にしたい2つのことを

ご提案したいと思います。

 

その1つ目は「マナー」です。

ネチケットも含め

発言や行動をする際には

十分に公共や

相対する方々への心遣いをした上で

非礼のないよう行なうこと。

これさえしっかりと心がけていれば

発言や行動に自信が持てるので

批判に対しても

揺れてしまうことは激減するでしょう。

 

そしてもう1つは

自分にとって「重要な人物」を

はっきりとさせることです。

重要な人物の言葉であれば

すべてを受けとめて

吟味せずにはいられませんし

その価値も大いにあります。

 

ですが、そうでない

自分の人生の圏外に

いるような人々が発する

他人を平気で

不快にさせるような言葉にまで

まともに取り合う必要はないのです。

 

この2つさえきちんと

押さえておけたなら

萎縮社会に足を踏み入れる機会も

きっとないはず!

それこそ言論の自由、表現の自由は

善良な国民に対してこそ

保障されているのですから。

また明日。