世の中、感謝の気持ちが
大切と言われています。
それはお作法でもありますし
ありがとうと伝えることで
その人の波動が高く清らかになって
その結果、よりよいものを
引き寄せるという説があるからです。
確かに、「ありがとう」の言葉は
言ったほうと言われたほうの間に
やさしく、平和な空気を作ってくれます。
コンビニであわただしく
買い物をするときも
店員さんとアイコンタクトとともに
「ありがとうございます」と
言葉を交わし合うと
それだけで、その日持ち歩く
お茶の味が違ってくるようにすら
思えるものです。
しかし、この「ありがとう」。
時折、まったく
言えない(言わない)人に
出会うことがあります。
たとえば
落としたものを拾ってもらったときも
ただ受けとるだけであったりなど
何かしらの好意を向けられているのに
そのことに対して、
何の言葉もない人。
そうした人は、どうして
ありがとうの言葉が言えないのでしょう。
その様子を見てみると
1 照れがあって言えない
2 ありがたい、という気持ちがわかない
理由はどうやら、
この2つに分かれるようです。
1については、また後日、
ふれることにします。
そして今日は後者の、
ありがたいと思えないことについて
思うことを述べていきたいと思います。
きっと、後者のタイプの方は
今、起きているよろこばしいことを
あまりうれしく感じることが
できていないのではないでしょうか。
たとえば
うっかり忘れてしまったボールペンを
誰かが貸してくれたとします。
ありがとう、と思えない方は
これを当然のことだと思われるようです。
その人は余分に持っているのだから
貸すのは当然というふうに。
しかし、もしもその誰かの
虫の居所が悪くて
「絶対貸さないもんね」
という気分であったらどうでしょう。
そういう可能性だって
十分に考えられます。
本当に、人からの好意というのは
決して当たり前のことではないのです。
そこでご提案なのですが
まずは、自分自身に対して
「ありがとう」と伝えることから
はじめてみてはいかがでしょう。
それには、わが身のことを思ってみると
とってもよくわかります。
今日、元気に起きられたのも
実は大変ラッキーなことで
疲れが出て
発熱していたかも知れないのです。
メイクをしていて
ファンデーションが
きれいにのったのだって
すごくありがたいことです。
一夜にして
ガサガサに荒れてしまうことも
大いにあり得るのですから。
元気に活動できる、
どこも痛くないからだも、
このすべすべした肌と
輝く髪も
自分自身ががんばって
つくり出してくれている。
そう思ったら、自然に
ありがたいという思いが
わいてくると思います。
そうして自分に対して
感謝ができるようになれば
きっと周囲の人からの好意にも
敏感に反応ができるようになると思います。
それはすべて
当たり前ではなく
全部がラッキーなことなのです。
そして自分はこれほどまでに
幸運の中で生きていると思えたなら
もう、感謝せずにはいられなくなるのでは。
また明日。