何かを決断しようとするときに
いつまでも迷ってしまうことって
あると思います。
もくじ
その迷い、果たして「自主的」なものでしょうか?
どうしようかと思うとき
肝心なのはその姿勢です。
あらゆる条件や想定されることを
分析しながら結論に向かっているならば
問題はないのですけれど
これがただ、自分の中から聞こえてくる
あらゆる統一感のない声に
揺れているだけならば
ちょっと心の動きを止めて
コーヒーブレイクといきませんか。
そしてカフェインで頭をすっきりさせながら
冷静に自分に訊ねてみるのです。
「その自分の中から聞こえてくる声は
本当に自分自身が発している声なのか」と。
答えを出してしまう前に
自分の本心にしたがって
自主的に迷っているのかを
きちんと確認しておく必要が
あると思います。
あなたは本当に「思って」いるのか? 「思わされて」はいないでしょうか?
物事を決めるときの判断基準は
自分の価値観にありますが
その価値観は、ややもすると
世間や他人の価値観に
すり替わってしまうことも珍しくないのです。
特に大多数の人間が言っていることや
影響力のある方の言葉など
自然と染まってしまいがちなものです。
するとそれを「常識」と
認識してしまう場合もあるのです。
すると、自分で「思った」ことも
他人に「思わされた」こととなります。
これは他人基準で、自分のことを考えるという
まるで脳や心を第三者に
操作されているかのような現象で
何とも芯が通らないもの。
あまりにも雑多な声が
自分の中から次々にわいてきたら
一度そんな心のお喋りを止めてみましょう。
そして、自分の本当の声を
聞きとる時間を持ってみませんか。
世間や他人の価値観で何かを決めれば、あとで待っているのは「後悔」というペナルティ!
たとえば、出産後、仕事に
復帰をしたいと思ったとします。
すると、すぐに世間の
「○才までは母親がそばにいないと」
「預けるなんて赤ちゃんがかわいそう」
といった意見から
「子どもは母親の手で育てるもの」
などという有無を言わさぬかのような
言葉にまで出くわすものです。
しかし、これはお分かりの通り
全部正解でも何でもありません。
これはただ、発言した人の
価値観でしかないものです。
そんな言葉を真に受けてしまったら最後!
後で待っているのは後悔だけです。
そこで焦点を当てるのは
こうした言葉の数々ではなく
自分はどう思っているかという
その一点だけではないでしょうか。
自分のその気持ちや意志こそ
自分にとって、もっとも心地よく歩ける道を
選びとるための参考資料だと思います。
洗脳してこようとする人に出会ったら、自分の気持ちを確かめるチャンス!
また、時折自分の気持ちを
これでもかと押し付けて
価値観を変えようとする人もいます。
そんな人に出会ってしまったら
話半分に聞いておいて
(もしかしたら、いくらかは
役に立つ話もあるかも知れませんので)
あとは忘れてしまいましょう。
そもそもすばらしい考えを持っている方は
その考えを伝えることはしても
選択は相手にすべて任せるものです。
相手の価値観を尊重しているからです。
そんな「洗脳好き」な人に出会ったら
そのときこそ、自分の本当の気持ちを
確かめるチャンスです!
「そうではなくて、私の思うことはこれ!」
そう自分の中で確認できれば
自分主体のスタイルで、すべての物事を
決めていかれると思います。
迷って、揺れ動いてしまうのは
きっと誰かの声にまどわされているから。
99人が違う意見を言ったとしても
自分の中にある感覚のほうを選べたなら
そこからはじまる道の一歩を
すがすがしく踏み出すことができるはず!
また明日。
xxx