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何の予告も前触れもなく

突然にやる気が失せて

自堕落モードに入ってしまうときって

ありますよね。

自堕落になることは、当たり前の自然現象! よくなるための工程でもあるのです。

まるで昨日までの自分では

ないように思えるくらい

とにかく、あらゆる生産的、建設的なことを

行なう気が失せてしまう日は

不意を突くようにやってくるものです。

 

料理をするのも面倒。

ややこしい本を読む気もしない。

運動? 掃除?

嫌ですやりたくありません!!

 

こんなモードに入ってしまうと

人は往々にして

「自分はダメになってしまったのだろうか」

「何に原因があるのだろうか」

などと、そのやる気のなさに怯えて

打開策を見出そうとしますが

それはほぼ空回りに終わります。

 

こんなことではいけない、と

どうにか自分を奮い立たそうとするほど

さらに自堕落モードは「強」になり

何もかもが輪をかけて

面倒に思えてならなくなるからです。

 

さていったい、

どうしてそうなってしまうのでしょうか?

 

答えはとってもシンプルな話です。

それは、その自堕落モードが

今の自分に必要なことだからです!

今、自堕落になっておくと

この先の物事がよりよく進む。

だから今は、何もせずに

だらだらしているときという

実にナチュラルなこと。

よくなる流れの一工程に置かれたに

過ぎないのです。

そこで悩まない、嘆かない! ダメなときが来たら、ダメを満喫する新習慣を持ちましょう!!

パン生地は、ベンチタイムと呼ばれる

休ませる時間を設けないと

生地が縮まってうまく成型できなくなります。

人間だって同じこと。

周期的に、何もしないで

のんべんだらりと過ごす時間は

必要不可欠なのです。

 

なので、自堕落モードがやってきたら

決して決して、自身を省みたり

悩んだり、嘆いたりせず

「自堕落さま、いらっしゃいませ!」

そんなふうに大歓迎して

思い切り何もせずに過ごすことを

満喫しましょう。

 

1日中、お菓子を食べたければ食べる。

ひたすら寝るもよし。

その、「きちんとしないこと」を

大いに楽しむのです。

日常、そうは味わえない楽な感じを

罪悪感としてとらえず

しっかり快楽として感じとりましょう。

 

そう言われても、どうしても

申し訳ない気分になってしまう方には

ひとつお伝えしたいことがあります。

かつて昭和の時代には

人は勤勉が基本で、サボるなどもってのほか、

という教えがありました。

でも今は平成の世の中。

その教えはもう旧バージョンです。

進化した現代にはそぐいません。

 

この時代をこころよく生きていくには

昭和の教えを少しずつ

現代の感覚に合わせて

更新していく必要もあるのです。

 

無為で無益な時間を楽しめたほど

明日からのパフォーマンスは

一段と上がります。

自堕落モードを、進化するための

ボーナスチャンスと受けとめられたら

人生の可能性も一段と

高まるに違いないでしょう。

 

また明日。